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2025.12.24

第44回| 日常に深呼吸と余白を。別府の湯治文化を届ける〈HAA〉池田佳乃子さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第44回にご登場いただくのは、大分県別府市の鉄輪(かんなわ)温泉から、湯治文化の素晴らしさを現代に広める活動をしている池田佳乃子さんです。東京と大分を拠点としながら、ゆっくり深呼吸する必要性を、多くの人に知ってほしいとライフスタイルブランド〈HAA〉を立ち上げました。入浴剤などのプロダクトを中心に、日々の暮らしのなかに余白を取り戻すことを提案しています。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

池田佳乃子さん(いけだ・かのこ)

1988年、大分県生まれ。大学入学を機に上京。卒業後は、映画会社や広告代理店にて勤務。2018年から大分と東京の二拠点生活を始め、湯治場として知られる鉄輪温泉でプランナーとして活動。2021年に〈株式会社HAA〉を設立。ライフスタイルブランド〈HAA〉を立ち上げ、入浴剤などのプロダクトを展開している。

温泉が日常に溶け込む別府

日本古来の養生法「湯治」をコンセプトにしたライフスタイルブランド〈HAA〉。入浴剤やハンドクリームなどを展開し、「日常に、深呼吸を届ける」をミッションに活動しています。このブランドを2021年に立ち上げたのは、大分県別府市出身の池田佳乃子さんです。地元で暮らしていた頃、温泉がまさに生活の一部だったと話します。

 

「おばあちゃんの家のお風呂が温泉だったり、近所の公民館も温泉。温泉はとても身近な存在でした。別府ではどの地域にも共同湯があって1階が温泉、2階が公民館になっているところがほとんどなんです。何か行事があると2階の公民館に集まり、そのあと友達と温泉に入って帰るのが楽しみでした。今振り返ると、温泉でおばちゃんたちに入り方を教えてもらったり、何かと気にかけてもらったりと、今の都会ではなかなか見かけない地域の濃い繋がりを、温泉を通して自然と感じていたのだと思います」

 

大学進学を機に東京へ出て、卒業後は映画会社や広告代理店で働き、目まぐるしい日々を送っていた池田さん。そのなかで次第に「地域に関わる仕事がしたい」という思いが強くなっていきました。

 

「29歳の時、途上国で支援活動をしている日本人の方々を取材してドキュメンタリー番組を作る仕事を担当しました。パラグアイなどで活動されている方のお話を伺うなかで、私も彼らのように地域に関わりながら何か役に立てることはないだろうか、と考えるようになったんです」

 

そんな時、別府へ拠点を移す後押しとなったのがご主人の言葉でした。

 

「横浜出身の夫が『自分にはふるさとと呼べる場所はないけれど、あなたには別府という大切な場所があるんだから、そこで何かやってみたら?』とアドバイスをくれたんです。その一言がすごく腑に落ちて、別府で何か始めてみようと思えました」

 

30歳になった池田さんは、東京と大分の二拠点生活をスタートさせました。

 

「大人になって改めて地元を歩いてみると、子供の頃に見ていた景色とはまったく違って見えました。学生時代は、家と学校のあいだに温泉があることが日常すぎて、温泉に浸かってゆっくり休む文化を特別だとは思っていなかったんです」

 

小さい頃や学生時代にはあまり行ったことのなかった鉄輪温泉にも、この時初めて足を運びました。

 

「鉄輪温泉は、湯治場が集まる地域なんです。そこには昔ながらの旅館を切り盛りする女将さんたちがいて、地域の文化や歴史を教えてくださいました。そこで、湯治文化が脈々と受け継がれていることを実感しました。」

改めて気づいた湯治文化の魅力

湯治とは、一般的に、温泉宿に長期滞在をして体調を整えることを指します。池田さんは、忙しく生活をしている現代の人々にこそ湯治をしてほしいと考えました。

 

「昔は農業をしていた方々が、冬の時期に体を休めるために湯治場へ訪れていました。でも今は働き方が大きく変わり、多くの人がデスクワーク中心ですし、長期の休みをまとめて取ることも難しいですよね。その一方で、週末だけ、もしくは仕事の合間に短い時間でリフレッシュするという現代的な休み方のなかに湯治を取り入れることなら可能なのではないかと考えました。働きながら滞在できる場所があれば、現代の暮らしにも湯治文化を取り入れられるのではと思ったんです」

 

そこで池田さんは、空いていた湯治宿を借りてコワーキングスペースを立ち上げることにしました。しかし、最初の場所づくりは、決して順調ではありませんでした。

 

「本当に家が見つからなくて。空き家はたくさんあるけれど、実際に借りられるところはなかなか見つかりませんでした。何十軒もインターホンを押しながら回りましたが、全然見つからない日が続きました。正直、もう諦めようかなと思った時期もありました」

 

そんなある日、ふと足を止めて街を見渡した瞬間が、後に〈HAA〉が生まれるきっかけになりました。

 

「鉄輪温泉は高台にあるので、坂を上ると海と湯けむりの景色が一望できるんです。その日は本当に落ち込んでいたんですが、顔をあげたらその景色がぱっと広がっていて。そこでふっと深呼吸できたんですよね。『ああ、私この場所が好きだな。もう少し頑張ろう』と自然に思えました」

 

この体験が、〈HAA〉の核になる深呼吸というキーワードに繋がりました。

 

「鉄輪の湯治場では、意識しなくても深呼吸ができるんです。これこそが湯治文化の本質なんじゃないかと思いました」

 

その後無事に物件も見つかり、コワーキングスペース〈a side満寿屋〉をオープン。場所を立ち上げてからの3年間、働く時間に温泉を取り入れることに注力してきました。その間に移住者も増え、地域に新しい担い手が次々と現れるようになりました。

コワーキングスペース〈a side満寿屋〉にて創業時の池田さん。

「鉄輪温泉エリアに、カフェができたり、湯治宿を活用したシェアハウスができたり、アパレルのお店ができたり。どんどん面白くなっていったんです。場をつくる人が増えると、エリア全体が息を吹き返していくことを実感しました」

 

そして、池田さんのなかにはもう1つの思いが芽生えます。

 

「湯治文化そのものを、もっと外の世界に向けても発信したいと思うようになったんです。湯治の魅力を知る人が増えれば、そこから鉄輪温泉に足を運んでくれる人が増えて、また地域にいい循環が生まれるかもしれない。それならば、湯治文化をインストールしたブランドをつくることで外に発信できるのでは、と思い至りました。そこから、ブランドとして形にしようと決めたんです」

優しさの循環をつくる

最初に作ったのは入浴剤でした。350年前から変わらない製法で作られている別府の湯の花を使用したこだわりの入浴剤。しかし池田さんは、ただお風呂を楽しむだけではなく、自然に深呼吸をできるような入浴剤を追求しました。

 

「湯けむりと海を見渡したあの時の体験を、どうすれば家のお風呂という日常のなかでも再現できるだろうと考えた時に、言葉を添えようと思ったんです。そこで、いろいろな人にエッセイを書いてもらうことにしました。入浴剤の包み紙には、エッセイが1つずつ入っています。さまざまな職業、年代の方による日常のかけらのような心があたたまる文章を添えています」

 

最近は、誰かを思って贈るギフトとして選ばれることがとても多くなっているそうです。大切な人のことを思い浮かべながら手に取る方が多いのだとか。

 

「相手を気遣う気持ちや、ゆっくりと体を労わってほしいという想いを添えられることが、とても喜ばれています。贈る人の思いやりが伝わり、受け取った人の心もふっとあたたかくなる。そんな声をお客様からいただくたびに、優しさが繋がっていくのを感じてうれしくなります。商品がそのきっかけになれていることが、本当にありがたいですね」

深呼吸は、今に戻るためのスイッチ

新商品のハンドクリーム、ロールオンアロマも発売。どちらも深呼吸を手伝ってくれるようなアイテムです。池田さんはポッドキャストやWebサイトのジャーナルでも、深呼吸の大切さを伝えています。

 

「湯治は、今の時代にこそ必要だと思っています。湯治場では本当に何もしないんですよね。お湯に浸かり、あがったら体を休めるためにぼーっとする。その余白を良しとしない今の社会では、効率化が求められ時間が予定で埋まっていきます。でも湯治文化は、あえてその余白を持つ大切さを思い出させてくれるもの。湯治場へ行くというアクションをいきなり取るのは難しい人も多いと思うので、その一歩手前として、〈HAA〉のプロダクトが小さな余白を生み出すサポートになればと考えています。日常のさまざまなシーンで深呼吸できるものをつくりたい。湯治場で感じるあの余白を、日常のなかにも持てるようにしたいんです」

プロダクトや池田さんの声を通して、日常にホッとできる時間をつくれたら、そして鉄輪温泉に足を運ぶ一歩になったら、と池田さんは願っています。東京との二拠点で自身も忙しく生活をしているからこそ、しっかりと休む時間の大切さ伝えたいといいます。

 

「忙しく生きていると、常に過去や未来に気を取られて今を感じることが本当に少ないと思うんです。今食べているごはんがおいしいとか、今感じている空気が気持ちいいとか、そういう感覚を忘れがちですよね。でも深呼吸している時って、まさに今を感じている瞬間。だから、〈HAA〉の商品が、今を感じる時間を生み出すきっかけになれたらと思っています。そして湯治を目的に、鉄輪温泉に来てくれる人もどんどん増えたらうれしいです」

〈HAA〉

【編集後記】

こうなるとうれしい、こうなると楽しそう……池田さんの思考はやわらか多めの柔軟さです。自分で考えて自分で進める、だけでなく、誰かが考えたいいものもどうすれば広がるか?と発想されているところがとても素敵に感じました。また、湯治文化など今の生活者にこれが必要でその価値をしっかりと知らせたい、と工夫を重ねて取り組まれている姿勢をとても新鮮に感じました。二拠点ならではの目線で度量が大きいお人柄は、まるで豊かに湧き出でる温泉のようです。忙しない時間の過ごし方をついついしてしまいがちですが、休みの時間を大切にし、心の拠り所で自分を俯瞰する時を設けて、もっちりやわらかな心を私も持ちたいと思います。

(未来定番研究所 内野)

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